こんにちは、稲田商会です。
つまんない話です。
この前、「年を取る」ことについてちょっと考えました。
「年を取る」と言うのは“死”にすこし近付くと言うことと言われていますが、「確かにそうだな」と思える程に感じられるように思えます。
“死”というのはそれこそ普段の生活の中でそこここに小さな“死”が何食わぬ顔でそこにじっとあるように、至る処で見掛ける感じに存在しています。
そして、“死”に近付くというのが、至る処で見掛ける小さな“死”が徐々に増え、個々がより大きく、ハッキリとしてくる感じです。
勿論、小さくなったり、消えたりすることも有りますが、それは波のように一度引いてもまた押し寄せてくる感じで、徐々に潮が満ちていくように増えていく感じです。
これから考えると、「門松は冥土の旅の一里塚」というのは確かにそうで、生と死が明確に境界があるのではなく、連続的に生から死に移り変わっている途中が人生なんだなと思います。
そんな事を考えていると、生きている間に生じる色々な事柄は生から死に移り変わる中でのちょっとした余興であるように思われます。
だって、それによってこの生死の移り変わりは途切れることはないんですから。
反対に、今目の前に有ることを楽しんでいかないと、もうそのことは二度と表れず失われてしまうとも言えます。
そう言う意味では、一期一会って確かにそうですよね。
ということで、皆さんも目の前にあることを楽しんでみると良いですよ。
あと、身近な所に潜んでいる死を感じてみるのも良いと思いますよ。
それでは、今回はこのへんで。
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