Translate

2014年3月2日日曜日

「新居浜インター 逆走できるのか」

こんにちは、稲田商会です。

 ブログの管理画面で、どのようにしてこのブログへ来て貰えたかが判る項目があります。

図1 ブログ管理画面 参照元URL

 図1のなかで、search.yahoo.co.jpはYahooで検索して来て頂いているものです。

 search.yahoo.co.jpでYahooから検索してこのブログに来て頂いた方の中に、次の検索キーワードでされていた方がいらっしゃいました。

 「新居浜インター 逆走できるのか」

 この検索キーワードを見て、どうなんだろうと疑問に思いました。

 では、少し検討してみましょう。

ビットコインの話

 こんにちは、稲田商会です。

 ビットコインの件で、ダイアモンドオンラインという経済に詳しいダイアモンド社のサイトで記事がありました。

 通貨革命か、それとも虚構か?「ビットコイン」を正しく理解する 野口悠紀雄
(注意:全てを読むには無料の登録が必要です)

 現時点で連載2回目までが記事となっています。
 連載1回目の中から一部引用します。

(前略)
 著者は、「1つの電子コインは、連続するデジタル署名のチェーンと定義される」としている。

 この簡潔な言葉で、電子コインの本質が見事に説明されている。日本人であれば、「これは約束手形の裏書譲渡と同じだ!」と、ただちに理解できるだろう。

 約束手形に裏書して譲渡すれば、その見返りに商品などを受け取ることができる。そして、原理的には、裏書を繰り返すことによって、その手形はどこまでも流通していく。これは、日銀券や硬貨という「法貨」(法定通貨)で支払いをしているのと同じことだ。
(後略)
ビットコインは社会革命である ――どう評価するにせよ、まず正確に理解しよう より引用)

 約束手形との類似は面白い指摘ですね。

 約束手形は、「企業が振り出して、裏書譲渡されながら流通し、最後は銀行が割り引いて現金化する」とのライフサイクルがあるそうです。
 ライフサイクルの間に問題が生じた場合、振り出した企業の信用の毀損や倒産に至ります。
 では、ビットコインのライフサイクルは、どうなんでしょう。

 私の判るビットコインのライフサイクルの始まりはマイニングです。

(前略)
 最初に正解を見出したコンピュータは、それをP2Pネットワークに放送し、正しいことを確認してもらう。確認されたら、そのコンピュータに対して一定額のビットコインが与えられるブロックが作られ、P2Pネットワークで承認され、タイムスタンプが押されて、直前のブロックの後ろに接続される。

 つまり、最初に正解を見出したコンピュータは、一定額のビットコインを褒美としてもらうわけだ。これを地中から金を掘り出すことに見立てて、mining(採掘)と呼んでいる。これが、ブロックチェーン維持作業に対する報酬となっており、同時に、ビットコインの残高が徐々に増加するメカニズムとなっている。

 現在では、報酬は25 Bitcoinsとなっている。直近の相場は1 Bitcoin=9万円程度であるから、220万円程度ということになる。
(後略)

 簡単に言えば、「ビットコインのシステム維持のための作業を行うと(早い者勝ちで)報償のビットコインが貰える」ことをマイニングと呼ばれています。

 マイニングでビットコインが与えられる場合、ビットコインが約束手形として、振り出したのはマイニングで作業をした人でしょうか。
 私には、マイニングでビットコインを得た人は、作業の対価としてビットコインを得ており、ビットコインが約束手形として流通する過程の最初の一人と思われます。
 そして、ビットコインを振り出したのは、マイニングで報償を与えるビットコインのシステムそのものということに思われます。
 とすると、現実の約束手形のように特定の振り出した存在があるわけではなく、システムそのものが約束手形を振り出したことになるわけです。
 システムそのものが約束手形を振り出すなら、振り出した約束手形が流通する(=システムが破綻なく運用される)限り、約束手形を振り出した存在へ信用毀損や倒産は無いと考えられます。

 では、ビットコインのライフサイクルの終了はどうでしょう?
 ビットコインは約束手形のような期限は切られていません。
 電子的なものですから、ビットコイン自体の劣化によるライフサイクルの終わりもありません。

 ライフサイクルに終りが無いとすると、約束手形の割り引いて現金化が行われないのですから、振り出したビットコインシステムの信用毀損や倒産は起こり得ないことになります(ビットコインの世界の中での話として)。

 システムが振り出して、期限なく流通する約束手形。
 似たようなものとして私が思い浮かべたのは、日本銀行券です。
 法律的な裏付けが無いとすれば、日本銀行券はそれに値する貨幣が支払われると日本銀行が保証する約束手形とみなせるのではないでしょうか。
 もしくは、日本国内での米ドル札と言ってもいいかもしれません。

 “それそのものに価値があるかどうか”、ではなく、“取引する関係者が「ある程度の期間有効な、ある程度の価値があると互いに信用できるもの」として考えられるか否か”が価値の基準になっている点で、ビットコインは法律的な裏付けの無い日本銀行券と同じと思われます。

 こう考えると、日本銀行券のような紙幣が流通しているのは、「それを信じているひとがいる」ことによって支えられていることになります。

 ところで、約束手形との類似をそのまま“利用”したらどうなるでしょう。
 もし、いまビットコインのシステムに期限を付与して“電子約束手形”として日本国内だけで運用するようにしたら、どうでしょう。
 約束手形を自由に売買でき、企業毎の振り出した合計金額が瞬時に求められるとしたら。
 それでもビットコインは問題があるのでしょうか。

 ビットコインの話、まだまだ勉強すべき点や学び取るべき点があると思います。

 それでは、今回はこのへんで。