こんばんは、稲田商会です。
本日(2/25)のクローズアップ現代は
大雪の猛威
“空前の立往生”はなぜ起きた
NHK クローズアップ現代 公式HP 該当ページ
との内容でした。
興味深く見ていたのですが、番組の後半で強調されていた「情報の集約、一元化と関係者での共有が重要」との話は、納得のいくものでした。
以前の投稿(大雪を切っ掛けとして物流とか災害時の道路確保とかが注目されるかも)で同じようなことを書いたからです。
番組の中では、そのための仕組みをどうするかがこれからの課題としていましたが、私はそうは思いません。
GoogleMapsやMapionなどの事例で明らかなように、情報の集約は図面上で連続的に行われるのが一番認識し易く、また複数の情報の重ね合わせも行うことが出来ると考えられます。
地図上に色々な情報を選択して表示させ、必要であればそれらの詳細へと連なるリンクをクリックするようにすればいいのです。
これらはGISの技術として、プロトコルが存在し、ツールがOpenSourceとして公開されているもので実現可能と言えます。
地図の情報としては、国土地理院が電子国土として、地図の画像や航空写真を配信しています。(国土地理院 電子国土ポータルサイト など)
ブラウザで地図情報を表示するには、OpenLayersというライブラリもあり、上記電子国土でも使用されています。(OpenLayers 公式HP)
地図上に重ねられるように図形を配信するプロトコルはWMSと言いますが、歴史的農業環境WMS配信サービスとして昔の地図をWMSで配信している例などがあります。(独立行政法人農業・食品産業技術研究機構 近畿中国四国農業研究センター 営農・環境研究領域公式HPの歴史的農業環境WMS配信サービスを参照のこと)
同様に地図上に重ねられるようにベクトルデータを配信するプロトコルWFSも存在しています。
これらの技術を使えば、以前の投稿甲信地方で通行可能ルートの可視化で書いたGoogleの行った「道路通行実績の表示」と同等のことが出来るでしょう。
不足しているのは、現地状況のデータ化するための仕組みと配信するための設備です。
私は情報の集約、一元化を行わなくても、情報を提供する国交省、NEXCOなどが同一フォーマットでそれぞれのサーバから情報配信し、クライアント側でそれらを集約して一元的に表示すればよいのではないかと考えます。
そうすれば、一部の情報が掛けたとしても全体には影響しません。
また、カーナビなどで配信されたデータから交通障害を検知し、別ルートを検索するような使い方も出来るかもしれません。
私は、“誰かがまとめて面倒をみる”のではなく、“誰でも使えるパーツを供給し使ってもらう”方が、より柔軟なシステムになると思うのです。
GISにかかわる学会の方々が集まって、様々な情報の集約、一元化の方法の一つとして、関係団体で同一プロトコルによる情報配信を行うことを提言してもらうときっと状況が前進すると考えます。
そうなってくれたら、私的にうれしいんですけれど、どうでしょう。
それでは、今回はこのへんで。
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2014年2月25日火曜日
財布の中のお金が足りませんでした
こんばんは、稲田商会です。
今日は、久し振りに外に出て本屋に行ってきました。
で本を1冊買おうと手に取り、値段が1,400円でふんふんと思い、レジに行くと、「1,470円です」と言われました。
私が“税別”の文字を見落としていたようです。
で、財布を探ってみると1,428円しかありません。
仕方が無いので「クレジットカードでお願いします」となってしまいました。
普段の生活でお金を使わないと、こんなところで失敗するんですね。
以前一人暮らししていた時は、そんなことがあると困るので、財布以外にもそれなりのお金を持っていたのですが、それも忘れてしまっていました。
さて、家に帰りついてから、つらつらと考えてみました。
以前の一人暮らしの時もクレジットカードは持っていたのにそれに加えて現金を持っているようにしていました。
それは、そこはかとない“不安”を感じていたからです。
今現在は、お金を持つこと自体を、忘れる程度にお金の存在が(物を買うとき以外は)どうでもよく感じていると思います。
「お金を持っているのに不安を感じる」状態から、「お金を持っていなくても不安に感じない」状態になったわけです。
これは“不安を感じる”のが、“お金を持っている”か否かとは関係なく生じていたことだと考えられます。
そして、“不安を感じる”ことの理由は明確なものがないこと、言い換えれば“理由は無いがなんとなく不安を感じる”状態であったことになります。
このような“理由は無いがなんとなく不安を感じる”状態は、あまり心地よいものではありません。
今の「お金を持っていなくても不安に感じない」状態からみると、以前の「お金を持っているのに不安を感じる」状態は心理的に不健康な状態であると思えます。
心の健康を考えると、“理由は無いがなんとなく不安を感じる”のはしなくてもいいこと、というよりも、すべきではないことでしょう。
今の私にはそう思えますが、その当時の私にとってはきっとそうとは思えなかったでしょう。
当時の私は、「そうはいっても何かあった時にどうするのか」などと言って、自ら進んで“理由は無いがなんとなく不安を感じる”状態を続けていたことでしょう。
きっと、“理由は無いがなんとなく不安を感じる”ことは、なんらかの悪い状況に“執着”しているために起こるのだと私は思います。
なんらかの悪い状況に心が囚われ(=“執着”)、それがなにかの拍子に想起されることで“不安を感じ”てしまう、ただ想起する引き金ははっきりしたものではないため、“理由は無いがなんとなく”と感じるのでしょう。
不安は緊張を伴いますので、度重なる、慢性的な不安は、心身的に大きな負荷をかけてしまうでしょう。
不安の原因となる“執着”は、心の健康のためにはすべきではないことだと思います。
当時の私に“執着”をしないように話しても、「そんなことを言われても不安に感じるものは変えられない」と言って反論したでしょう。
それはそうですよね、“不安”は変わってくれないのですから。
今の私は、当時の私にこう伝えてあげたいと思っています。
「そうだね。不安に感じるのは変えられないよね。」
「なら、今現在不安なことは、今考えることにしよう。」
「そして、今現在不安なことが無くなってから次に不安なことを考えなければならなくなる時までの間、1日でも1時間でも、そのことを気にしないようにすればいい。」
「するべきときに嫌なことをするのは当然だけれど、しなくてもいいときに嫌なことをすることはないだろう?」
おそらくですが、心を健康にする方法は2つあると思います。
一つは、しなくてもいいときは嫌なことはしないことです。
もう一つは、するべきときでも嫌なことはしないことです。
前者は“出来る人”と言われ、後者は“出来ない人”と言われます。
するべきときも、しなくてもいいときも嫌なことをするのは、“普通の人”です。
賢くなるか、馬鹿になるか、そのどちらも心は健康になりますが、中途半端に普通の人でいると不健康になってしまうのです。
では、賢くなるか、馬鹿になるか、どちらかになってみてはいかがでしょう。
似たようなことを言っていると感じた文章があったので、以下に引用します。
この文章を読んで、何か感じてもらえたら幸いです。
それでは、今回はこのへんで。
今日は、久し振りに外に出て本屋に行ってきました。
で本を1冊買おうと手に取り、値段が1,400円でふんふんと思い、レジに行くと、「1,470円です」と言われました。
私が“税別”の文字を見落としていたようです。
で、財布を探ってみると1,428円しかありません。
仕方が無いので「クレジットカードでお願いします」となってしまいました。
普段の生活でお金を使わないと、こんなところで失敗するんですね。
以前一人暮らししていた時は、そんなことがあると困るので、財布以外にもそれなりのお金を持っていたのですが、それも忘れてしまっていました。
さて、家に帰りついてから、つらつらと考えてみました。
以前の一人暮らしの時もクレジットカードは持っていたのにそれに加えて現金を持っているようにしていました。
それは、そこはかとない“不安”を感じていたからです。
今現在は、お金を持つこと自体を、忘れる程度にお金の存在が(物を買うとき以外は)どうでもよく感じていると思います。
「お金を持っているのに不安を感じる」状態から、「お金を持っていなくても不安に感じない」状態になったわけです。
これは“不安を感じる”のが、“お金を持っている”か否かとは関係なく生じていたことだと考えられます。
そして、“不安を感じる”ことの理由は明確なものがないこと、言い換えれば“理由は無いがなんとなく不安を感じる”状態であったことになります。
このような“理由は無いがなんとなく不安を感じる”状態は、あまり心地よいものではありません。
今の「お金を持っていなくても不安に感じない」状態からみると、以前の「お金を持っているのに不安を感じる」状態は心理的に不健康な状態であると思えます。
心の健康を考えると、“理由は無いがなんとなく不安を感じる”のはしなくてもいいこと、というよりも、すべきではないことでしょう。
今の私にはそう思えますが、その当時の私にとってはきっとそうとは思えなかったでしょう。
当時の私は、「そうはいっても何かあった時にどうするのか」などと言って、自ら進んで“理由は無いがなんとなく不安を感じる”状態を続けていたことでしょう。
きっと、“理由は無いがなんとなく不安を感じる”ことは、なんらかの悪い状況に“執着”しているために起こるのだと私は思います。
なんらかの悪い状況に心が囚われ(=“執着”)、それがなにかの拍子に想起されることで“不安を感じ”てしまう、ただ想起する引き金ははっきりしたものではないため、“理由は無いがなんとなく”と感じるのでしょう。
不安は緊張を伴いますので、度重なる、慢性的な不安は、心身的に大きな負荷をかけてしまうでしょう。
不安の原因となる“執着”は、心の健康のためにはすべきではないことだと思います。
当時の私に“執着”をしないように話しても、「そんなことを言われても不安に感じるものは変えられない」と言って反論したでしょう。
それはそうですよね、“不安”は変わってくれないのですから。
今の私は、当時の私にこう伝えてあげたいと思っています。
「そうだね。不安に感じるのは変えられないよね。」
「なら、今現在不安なことは、今考えることにしよう。」
「そして、今現在不安なことが無くなってから次に不安なことを考えなければならなくなる時までの間、1日でも1時間でも、そのことを気にしないようにすればいい。」
「するべきときに嫌なことをするのは当然だけれど、しなくてもいいときに嫌なことをすることはないだろう?」
おそらくですが、心を健康にする方法は2つあると思います。
一つは、しなくてもいいときは嫌なことはしないことです。
もう一つは、するべきときでも嫌なことはしないことです。
前者は“出来る人”と言われ、後者は“出来ない人”と言われます。
するべきときも、しなくてもいいときも嫌なことをするのは、“普通の人”です。
賢くなるか、馬鹿になるか、そのどちらも心は健康になりますが、中途半端に普通の人でいると不健康になってしまうのです。
では、賢くなるか、馬鹿になるか、どちらかになってみてはいかがでしょう。
似たようなことを言っていると感じた文章があったので、以下に引用します。
ニーバーの祈り (Wikipedia)神よ変えることのできるものについて、識別する知恵を与えたまえ。
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
この文章を読んで、何か感じてもらえたら幸いです。
それでは、今回はこのへんで。
酸素同位体による年代測定法
こんにちは、稲田商会です。
新聞に載っていたのを読んで、「おっ、これは良さそう」と思った記事がありました。
難波宮跡の柱「7世紀前半」…新手法で年代特定
内容は、遺跡の発掘で出土した木材で「酸素同位体測定による年代測定法」を使用して年代が測定出来たとのことです。
従来の精度の高い年代測定は、木材の年輪の幅を用いた年輪年代法しかなかったようなのですが、難点として樹種が限られているとの制約があったとのこと。
今回の、年輪毎の酸素同位体比を測定することで年代を判別する「酸素同位体法」では樹種に限らず年代決定が出来るとのことなので適用範囲が広くなるということです。
さて、「良さそう」と思った理由は、災害対策に応用出来るのではないかと考えたからです。
土石流堆積物や崖錐堆積物などの土砂災害による堆積物は、内部に多くの木材を含んでいると考えられます。
その木材の正確な年代を測定出来ればその地域での土砂災害の発生年度が特定出来ます。
複数の地点で深度毎に測定を行えば、土砂災害の発生頻度、発生範囲、規模が明確になり、警戒すべき降雨の推定にも役立つと思われます。
基準となる酸素同位体比のスケールは2500年分程度があるようなので、津波堆積物中の木材の測定が出来れば、津波の頻度、規模の測定が可能になると思われます。
後は測定の単価がどの程度になるのか、期間はどの程度必要か、などでしょうか。
個人的にふと思ったのは、酸素同位体が後から浸透した水などによってコンタミする可能性があるのでは、とのことです。
おそらくセルロース等の固定された物質のみが測定できるよう前処理するんでしょうね。
新技術で判明、とかきくと、なんかワクワクしますね。
それでは、今回はこのへんで。
新聞に載っていたのを読んで、「おっ、これは良さそう」と思った記事がありました。
難波宮跡の柱「7世紀前半」…新手法で年代特定
内容は、遺跡の発掘で出土した木材で「酸素同位体測定による年代測定法」を使用して年代が測定出来たとのことです。
従来の精度の高い年代測定は、木材の年輪の幅を用いた年輪年代法しかなかったようなのですが、難点として樹種が限られているとの制約があったとのこと。
今回の、年輪毎の酸素同位体比を測定することで年代を判別する「酸素同位体法」では樹種に限らず年代決定が出来るとのことなので適用範囲が広くなるということです。
さて、「良さそう」と思った理由は、災害対策に応用出来るのではないかと考えたからです。
土石流堆積物や崖錐堆積物などの土砂災害による堆積物は、内部に多くの木材を含んでいると考えられます。
その木材の正確な年代を測定出来ればその地域での土砂災害の発生年度が特定出来ます。
複数の地点で深度毎に測定を行えば、土砂災害の発生頻度、発生範囲、規模が明確になり、警戒すべき降雨の推定にも役立つと思われます。
基準となる酸素同位体比のスケールは2500年分程度があるようなので、津波堆積物中の木材の測定が出来れば、津波の頻度、規模の測定が可能になると思われます。
後は測定の単価がどの程度になるのか、期間はどの程度必要か、などでしょうか。
個人的にふと思ったのは、酸素同位体が後から浸透した水などによってコンタミする可能性があるのでは、とのことです。
おそらくセルロース等の固定された物質のみが測定できるよう前処理するんでしょうね。
新技術で判明、とかきくと、なんかワクワクしますね。
それでは、今回はこのへんで。
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