Translate

2015年2月25日水曜日

主観てなんなんでしょうね

 こんにちは、稲田商会です。

 多くの人は、というよりほぼ全ての人は「私は私である」との主観をもって生きていると思います。
 でも、その主観とは一体何なのでしょうね。

 昨今の知見からは、意識というものは生化学的な反応と電気的な反応から成り立っているということのようです。
 だとすると、「私は私である」というのはもし同じ生化学的反応、電気的反応の寄り集まったモノがつくれれば、そこにも同じ「私は私である」との主観が生じることになります。
 つまりクローンが完全に作成出来れば、同じ主観を持った個体が作れることになる。

 仏教的な一切は空との考え方で、今この世界がマトリクスのような仮想世界であり実際の自分は現実世界からこの仮想世界へとVRを楽しみにやって来ていてそれが主観の正体とでもいうなら唯一無二の主観になるかもしれませんね。

 でもそれを証明することって出来るんでしょうか。
 証明出来ず確認出来ないなら、尤もらしくても仮説の域を出ませんよね。
 ただ、主観がこの世界に含まれていないということなら、この世界の苦しみもただの仮想現実として流すことが出来るかもしれないと思うと、そちらの方が楽な世界と言えるかもしれません。

 この世界には余り楽しくないことも多く起こっています。
 「解脱」出来るならそうしたいようにも思いますし、主観である自分には「影響しない」仮想世界の出来事なら楽しまなければ損だとも思います。

 寿命でこの世界から解脱するにはまだしばらくかかりそうですから、楽しんだ方がお得なのかもしれませんね。

 それでは、今回はこのへんで。