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2016年3月7日月曜日

Sさんへ、有り難うございました。

 こんにちは、稲田商会です。

 今日は昔お世話になった方が亡くなったとの電話で、一日ボーッと過ごしました。

 ボーッとしているなかで思ったんですが、「死」ってある瞬間に生ける者に襲いかかってくるものではなくて、ふと気付くと平凡な日常の直ぐ側でボーッと佇んでいるものなんじゃないでしょうか。

 白髪が増えた。
 直ぐに疲れる。
 ちょっと足腰が弱くなった。
 思い出すのに時間が掛かる。
 言葉に詰まる。

 ちょっとした「死」がそこここにに転がっていて、それがどんどん溜まっていくと人間としての「死」になるのだろうと思います。
 そうだとしたら、普段からその「死」を認めて「死」と慣れ親しんでいけば、個体としての自分の「死」や家族の「死」も受け入れやすくなるのではないかと考えてしまいます。
 生活の中に転がっている誰かの小さな「死」を見つけて拾い集め「死」と慣れ親しむ、生活。
 うーん、私にはちょっと無理そうです。

 さて、それはさておき。

 Sさん、色々とお世話になりました。
 一緒に掃除したのは、私がいい人だったからではありません、なんとなく、居心地が悪かったからです。
 (おそらくそれを判っていながら)お返しのように、私に色々なことを教えて頂いたことで本当に勉強になりました。
 もう他の人のために何かしようとしなくても大丈夫ですからね。
 木陰のハンモックでゆっくり昼寝を楽しんで下さい。
 貴方のご冥福をお祈りいたします。

 それでは、今回はこのへんで。