こんにちは、稲田商会です。
地質のような観察主体の科学は、裁判とは相性が悪いと思います。
地震予知できなかった科学者を殺人罪とする判決、一転無罪に:イタリア(wired.jp)
2014.11.11 TUE
中世の面影を残すイタリアの都市、ラクイラで2009年に発生した地震を正しく予知できなかったとして、殺人の罪に問われた科学者たちが無罪となった。2009年4月に住民309人が死亡したラクイラ地震について、国家委員会に属していた地震の専門家6人と政府当局者1人は、2012年10月の一審で、適切な警告を出さなかったとして有罪判決が下されていた。しかし二審裁判所は11月10日、一審の有罪判決を覆した(ただし、検察が引き続き上告し、判決が覆される可能性はある)。
(後略)
これ、日本だったらどうだったんでしょうね。
きっと、裁判にはならず、明確な責任を負うことはなかっただろうと思います。
というか、地学分野は岩石実験などの実証的に行えるものと、自然観察などを主体として演繹的に導くものでは、後者の方が多いですから、検証を行うことがし辛く、正しさを客観的に示すのは難しいと思います。
なので、地震予知とか火山噴火などの判断は、それなりに当たらない可能性があることを認識して判断することが必要だと思います。
こういうことを、一般の方に言っても、通じないんでしょうね。
ふう。
それでは、今回はこのへんで。
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