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2014年6月14日土曜日

言葉と倫理の関係

 こんにちは、稲田商会です。

 深い関係があるようです。

外国語で考えると倫理的基準が変わる:研究結果(WIRED.jp)
2014.6.12 THU
1人を橋から突き落とせば5人の命が救われるとき、あなたはどう判断するだろうか。有名なこの「トロッコ問題」を外国語で考えると、母国語の場合と結論が異なることが明らかになった。 
(後略)



 同記事から引用します。

引用、ここから。
(前略) 
1人を殺せば5人の命が救われるというときに、あなたならどうするだろうか?
この残酷な問いでは、「汝、殺すなかれ」という倫理的な原則と、「5は1より大きい」という単純な計算が対立している。「トロッコ問題」として知られるこの思考実験を外国語で考えると、母国語で考えた場合と結果が異なる、という研究結果が発表された。
具体的には、「より多くの命を救う」選択をする確率が大幅に高まることが、一連の実験で明らかになったという。 
(中略)
第二言語で考えることが、なんらかの理由で感情的反応を抑制したのか、あるいは、慣れない言語を使用することがより慎重な思考を促した可能性が考えられる。
研究で行われたもうひとつの実験の結果は、前者を裏付けているようだ。コスタ氏のチームが、誰かを突き落すのでなく、ポイントを切り替えるだけの古典的なトロッコ問題を出題したところ、使用言語が異なっても被験者の選択にほとんど差はなかった。外国語が慎重な思考を促すのであれば、計算に基づいた、より救われる数が多い選択をする被験者が多くなっていたはずだ。
(後略)
引用、ここまで。

 「第二言語で考えることが、なんらかの理由で感情的反応を抑制したのか」とありますが、私は反対のように思われます。
 即ち「特定の単語やフレーズなどが感情的反応と関連性が高く、それは母国語のような思考と直結した言語でのみ表れる」と考えます。
 これは、思考は言語で行っていることを示しているのでしょう。

 だとすると、習得している言語がシンプルな場合は思考もシンプルになってしまうのでしょうか。
 その辺りを調べた研究があれば読んでみたいです。

 それでは、今回はこのへんで。

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