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2015年1月18日日曜日

阪神・淡路大震災から20年

 こんにちは、稲田商会です。

 もう、そんなに経つんですね。

阪神大震災から20年 経済・まちづくり課題なお(日本経済新聞)
2015/1/17 11:39 (2015/1/17 12:05更新)
 6434人が亡くなった阪神大震災は17日、発生から20年を迎えた。甚大な被害が出た神戸市などは美しい景観を取り戻したが、地域経済は苦境が続き、街も以前のにぎわいを失ったままだ。兵庫県を中心に各地では追悼行事が行われ、犠牲者の冥福を祈るとともに、将来発生が予想される大災害に対する防災・減災への誓いを新たにした。
 犠牲者の名前が刻まれた「慰霊と復興のモニュメント」がある神戸市中央区の東遊園地では同市などが「1.17のつどい」を開催。地震が発生した時刻の午前5時46分、参加者が「1.17」の形に並べられた竹灯籠を囲んで黙とうし、亡き家族や友人らをしのんだ。 
(後略)


 あの当時思ったのは、「都市って案外と簡単に壊れるモノだ」ということと、「案外被災地の周囲は平然と生活しているモノだ」ということです。

 今から考えても、都市が破壊されると大量の被災民が限られた範囲に集中して発生するということは、とても恐ろしいことです。
 住むところ、トイレ、お風呂など日常生活に関する部分が集中して不足することは、想像するととても恐ろしいことですね。
 東北大震災において、仮設住宅は場所の問題はあったものの建てることは比較的速やかだったと思えますが、トイレ、お風呂などはまだそんなに対策されたとは言えないような気がします。

 高速道路や国道などが寸断された後、復旧後は渋滞でなかなか物資運搬が上手く行かなかったのは、東北大震災の状況をみると現在でもそれほど改善されている状況とは言えないかもしれません。
 オスプレイのような垂直離着陸機である程度の重機を臨時空港に輸送し、そこを基点に放射状の臨時輸送網を構築して応急復旧し、その後基幹道路網を復旧させてトラック輸送に切り替えていく。
 そんなことが出来れば、物資輸送も楽なんでしょうけれどね。

 広域的、面的な被害が大きい津波や原発事故は対処がホントに困難ですから、被災者を移送する方が現実的かもしれないですね。
 都市直下型の地震のように、被災者の移送が現実的でない場合はその場での対応を行うことになりますから、資金的に大きなモノとなっても災害対策を施した施設などを整備することになってしまいますね。

 いっその事、普段は利用していおらず被災時に住むことが出来る都市を造成した方が楽なのかもしれません。
 ネーミングは「箱船」市なんてどうでしょう。

 それでは、今回はこのへんで。

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