Translate

2014年11月9日日曜日

ベルリンの壁崩壊から四半世紀

 こんにちは、稲田商会です。

 そんなになるんですね。

ベルリンの壁崩壊25年 新たな分断に懸け橋を(信濃毎日新聞)
 高さ3メートルほどのコンクリート壁が道路沿いに延びている。ドイツに今も残る「ベルリンの壁」の一部だ。
 1カ月ほど前に立ち寄ったのは、日が暮れた後だった。明かりに照らされ、夕闇に浮かび上がる壁の脇を歩行者やヘッドライトをともした車が行き交っていた。
 ナチス・ドイツ時代にはゲシュタポ(秘密警察)の本部があった場所だ。今はナチスについての説明パネルなどを展示し、負の歴史を伝えている。
 ベルリンを東西に分断していた壁の崩壊から、きょうでちょうど25年になる。
 第2次大戦後、連合国に分割統治されたドイツでは、西側の占領地に西ドイツ、ソ連の占領地に東ドイツが成立した。壁は、東ドイツが西側の飛び地だった西ベルリンの周囲約160キロに築いたものだ。国民が西側に逃げ込まないようにするためだった。
   <見えない新秩序>
 大戦後の冷戦下、この壁を乗り越えようとして射殺されるなど少なくとも136人が犠牲になっている。様変わりした光景に歳月の流れを実感する。
 1980年代、ソ連の「ペレストロイカ(改革)」とともに進んだ東欧諸国の民主化が壁の崩壊につながる。89年9月には東ドイツ国民がハンガリー経由で出国することをハンガリー政府が認めたため、大量脱出が起きた。
 東ドイツで民主化要求デモが拡大する中、西側への出国を原則的に自由化する国境開放が発表される。89年11月9日のことだ。壁は住民らの手で次々に壊された。
 翌月には、米ソ首脳が冷戦の終結を宣言している。本紙は「欧州新秩序へ協力」との見出しで伝えた。笑顔で並ぶブッシュ(父)、ゴルバチョフ両氏の写真が時代の転換を印象付ける。
 それから四半世紀、新たな秩序は見えないままだ。 
(後略)



 1989年頃は、「それまでの冷戦構造のようにずっと続くのが当然のように思われていたものが瞬く間に壊れるんだ」とビックリしたものです。
 それからしばらくして日本の経済も崩れていったのは、そのときには思いもしませんでしたが。
 アラブの春とかの流れを見ると、世の中で変えられないものというのは余り無いように思えます。
 変えられないのではなく、変える理由がないもしくは継続する理由があるから変わらないということなんでしょう。
 世の中の色々絡み合った複雑な仕組みの一端を押すと、色々な歯車がゆっくり回り出してそのうち大きな流れになることもあるわけです。(全てがそうとは言えませんが)

 結局、変わるものと変わらないものの識別と、変わるものを如何にして変えていくかの方法と、変わらないものをそのまま受け入れられる心理があれば、時間スケールは別にして、全てを変えていけるのではないでしょうか。
 世の中が変わらないのではなく、自分で変えていくということですね。

ニーバーの祈り(wikipedia)
(前略)
「ニーバーの祈り」(以下では「祈り」と表記)にはその来歴の関係で様々な形がある。その中で日本で最もよく知られているのは大木英夫が紹介した下記の英語原文及び日本語訳である。[2]

英語(英語原文)
O GOD, GIVE US
SERENITY TO ACCEPT WHAT CANNOT BE CHANGED,
COURAGE TO CHANGE WHAT SHOULD BE CHANGED,
AND WISDOM TO DISTINGUISH THE ONE FROM
THE OTHER

日本語訳(翻訳者:大木英夫)
神よ
変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。
(後略)

 それでは、今回はこのへんで。

0 件のコメント:

コメントを投稿