日本が火山国だということを改めて感じます。
亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。
御嶽山 噴火口少なくとも3か所 国交省が確認(NHK)
9月27日 16時48分
国土交通省によりますと、御嶽山の上空からヘリコプターで確認したところ、山頂の南側に噴煙が立ち上っているやや大きな噴火口が、少なくとも3か所確認されたということです。
(後略)
「ドン、ドン」と爆発音=山小屋「まさか噴火とは」―御嶽山(niconicoニュース)
2014年9月27日(土)16時31分配信
紅葉シーズンを迎え、登山客でにぎわう御嶽山で27日発生した噴火。「御嶽頂上山荘」のオーナー新井龍雄さんは、直後の電話取材に「頂上付近は火山灰と小石が降ってきて危険な状態だ。山小屋には40人くらいが避難していて、徐々に下に避難している」と緊迫した様子で話した。7合目にある「行場山荘」オーナーの田ノ上徳延さん(67)は「ドン、ドン、ドンと4、5回音がして、それから灰が降ってきた。1時間で2センチ前後積もった」と振り返る。休日で登山客は多かったというが、「だんだんと下山を始めており、冷静に行動している」と話した。
御嶽山噴火 朝から救助活動を再開(NHK)(後略)
9月28日 8時39分
長野と岐阜の県境にある御嶽山の噴火で、警察や消防によりますと、7人が意識不明、42人が重軽傷を負っていて、このほかにも倒れている人がいるという通報が複数寄せられているということです。山小屋には、まだ登山者などおよそ40人が残ったままになっていて、警察などは、28日朝から救助活動を再開しています。警察によりますと、御嶽山の噴火で山頂や御嶽神社付近にいた7人が火山灰に埋もれ、このうち1人は救助されましたが意識はなく、残る6人も火山灰に埋もれたまま意識不明だということです。
(後略)
火山が、ほとんど前兆が無く噴火するなら、どのように災害を防げるのか思いつきません。
普段から、登山初心者が良く登っていたとの記事があり、山頂付近には多くの登山客がおられたことが被災者を多く出した要因のようです。
一部の記事で火山活動の活発化を示すデータがあったようですが、噴火という極稀な現象の予兆と判断することは難しかったようです。
地震活動の予兆あったが…噴火の記録乏しく予知できず(産経MSN)
2014.9.27 21:44
御嶽山では噴火の約2週間前に地震活動が活発化したが、気象庁は前兆現象と判断できず、予知できなかった。噴火の記録が乏しく観測網も手薄だったためで、経験則に基づく噴火予知の難しさを示した。気象庁によると、御嶽山では9月10日ごろに山頂付近で火山性地震が増加し、一時は1日当たり80回を超えた。しかし、その後は減少に転じた。マグマ活動との関連が指摘される火山性微動は噴火の約10分前に観測されたが、衛星利用測位システム(GPS)や傾斜計のデータに異常はなく、マグマ上昇を示す山体膨張は観測されなかった。噴火は地震と比べると予知しやすいとされるが、過去の噴火で観測されたデータに頼る部分が大きい。気象庁火山噴火予知連絡会の藤井敏嗣会長は「今回の噴火は予知の限界」と話す。
「火山の噴火が2年に1回くらいで、20回以上データが取れ、毎回同じパターンで予兆が確認された」という条件なら、噴火予測も可能でしょうが、御嶽山は長く死火山と思われていた後1970年代に水蒸気爆発を起こして活火山であることが判った程度で、データの蓄積は難しかったと考えられます。(後略)
御嶽山 (長野県)(wikipedia)
御嶽山[6](おんたけさん)は、長野県木曽郡木曽町・王滝村と岐阜県下呂市・高山市にまたがり、東日本火山帯の西端に位置する標高3,067 mの複合成層火山である[5][7]。大きな裾野を広げる独立峰である[8][9]。
(中略)
約64万年前 - 東山腹に倉越溶岩を噴出した。周りの地層が浸食されて、堅い溶岩がレリーフ状に残り現在の倉越高原が形成された[51]。
約40万年前 - 東山腹に安山岩溶岩の三笠山溶岩を噴出した[52]。
約40万年-10万年前 - 火山活動は休止していた[53]。
約9万年前 - 爆発的な噴火により、御嶽第1軽石層などの広域テフラを関東地方まで降らせた[53]。
約6万年前 - 摩利支天溶岩を噴出した[54]。摩利支天第6溶岩が濁河川の支流の大俣川に沿って流下して形成された柱状節理である「巌立」(所在地が下呂市小坂町落合中サキ平)は、1957年(昭和32年)12月19日に岐阜県の天然記念物の指定を受けている[33]。
約5万年前 - 山体の一部が崩落し巨大の岩屑なだれとなって東山麓の西野川まで堆積物が下り、木曽川下流の愛知県犬山市にもその泥流の堆積物が残された[53]。
約3.7万-3.3万年前 - 四ノ池火口が形成された[55]。
約3.1万年前 - 一ノ池火口が形成された[55]。
約1万年前 - カラ谷火砕流で1,740万 m3の軽石を中規模に降下した[36][55]。
約9,000年前 - 三ノ池溶岩で5億 m3の大規模な噴出をした[36][50]。
約6,000年前 - 五ノ池火口が形成された[55]。
約5,200年前 - 女人堂スコリアで140万 m3の小規模な噴出をした[36]。
約5,000年前 - 濁滝スコリアで35-75万 m3の小規模な噴出をした[36]。
1979年(昭和54年)
10月28日
5時頃 - 水蒸気爆発が起こり、王滝村役場の職員が頂上付近で高さ150 mの噴煙を確認した[9][45]。
5時15分頃 - 王滝頂上から山頂へ向かった登山者が硫黄臭に気付き、15分後に降灰を受けた[9]。
6時頃 - 王滝口7合目の登山口(田の原)で登山者、頂上付近で黒煙が上昇するのを目撃し、頂上にいた登山者はジェット機に似た音やかなりの煙に気付いた[9]。
9時頃 - 三岳村から白煙が1箇所から上昇しているのが確認され、田の原では白煙が茶色に変わるのが確認された[9]。
9時30分 - 飛行機から山頂の山小屋が黒い火山灰に覆われて、高さ1,000 mの噴煙が東北東に流れているのが確認された[9]。
11時 - 定期航空便が高さ1,800 mの噴煙と下部で灰色の火山灰が上がっているのを目撃し、三岳村では降灰のため暗くなった[9]。
12時30分頃 - キノコ雲状の噴煙が確認された[9]。
14時頃 - 7合目付近で高さ3,000 mの噴煙が上がり、地鳴りと共に直径1 m程の岩が飛ぶのが確認された[9]。
15時頃 - 三岳村では降灰が盛んとなり、開田村では降灰により視界が10-20 m程となった[9]。
17時頃 - 王滝村から多量の黒い煙が確認され、王滝頂上の山小屋の裏の方では白い噴煙が確認された。王滝口村では多量の降灰が続いていた[9]。
10月29日 - 噴煙の量は減少して白色に変わり、火山灰の降灰も少なくなった[9][45]。
10月31日 - 噴煙には火山灰が含まれなくなった[9]。
1991年(平成3年)5月中旬 - 79-7火口でごく小規模な噴火が起きて、10トン程度の火山灰を噴出した[37]。
2007年(平成19年)3月後半 - 79-7火口でごく小規模な噴火が起きた[32][37]。
2008年(平成20年)3月31日 - 気象庁は、噴火警戒レベルの導入に伴い、噴火予報(噴火警戒レベル1、平常)を発表した[20]。
2014年(平成26年)9月27日 - 11時53分頃に噴火[56]。登山者約150人が取り残され、けが人や意識不明の者が発生する事態となった[57]。政府は危機管理センターに官邸連絡室を設置して情報収集にあたるほか、自衛隊の災害派遣を決定した[58][59]。
(後略)このWikipediaの記事を見ると、今は5000年振りに活動が活発になっている状況で、
1979年10月28日~31日
1991年5月中旬
2007年3月後半
2014年9月27日~
と7年~18年の間隔で噴火が起こっていることになります。
これだけ噴火の間隔がひらいている状況では、なかなか予知に結び付けられる程データの収集、解析は難しいと思います。
今後の方策としては、注意情報程度の小さな形で出していくようにするしかないと思いますが、日本人の特性といえる「後から見て正しさを判断する」ところが発揮されると、外れた場合の風当たりがとても強くなるので、今の体制をそのまま変えないように思います。
それにしても、この頃は多くの降雨による水害、土砂災害に噴火と、天災と言えるものが多く発生しているように感じます。
そろそろ日本が次の時代に生まれ変わるための何かが動いているのかもしれませんね。
それでは、今回はこのへんで。
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