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2015年1月4日日曜日

「脳が若返る薬」が出来るかもしれない

 こんにちは、稲田商会です。

 「脳が若返る」って、どんなことなんでしょうね。

実現近づく「脳が若返る」薬(大人になると絶対音感が身につかないわけ)(wired.jp)
2014.12.29 MON
ジュースのコップの縁を叩いて、それがドレミの音名のどれに当たるかがわかる──こうした能力は一般に「絶対音感」と呼ばれている。日本では10数年前に同名の本がベストセラーになり、よく知られるようになった。
この「絶対音感」という能力は、一般に幼少時に習得できなかった場合には、その後の人生で獲得はできないと言われている。だが、ハーヴァード大学のヘンシュ貴雄教授は、抗てんかん剤として知られる「ヴァルプロ酸」という薬物を成人男性に対して投与することでこの能力を高めることに成功した。
「これは注目すべき結果でした。現在でも7歳以上の人間に絶対音感を身につけさせる体系的な方法はありません。ささやかな向上でも、被験者には衝撃的だったのです」
こうしたヘンシュ教授の研究に、世界中から「被験者になりたい」とメールが届いている。音楽関係者もいるが、決してそれだけではない。というのも、この成果は絶対音感が高まるだけに留まらない、ある可能性を示すものだからだ。
それは、ヴァルプロ酸を服用することで、年老いた人間の脳が、幼児のような若い学習能力を得られる可能性である。そう、彼の研究に期待されているのは、人間の「心」における「若返りの薬」の発明なのだ。 
(後略)



 元記事の内容は、人の心(絶対音感などの能力を含む)は老化というか成熟化をするということを述べています。
 また、人として安定するためには心の成熟化が必要との考えも示されています。

引用、ここから。
(前略) 
そもそも一体、人間にはなぜ臨界期が存在しているのだろうか。ヘンシュ教授はそれを「脳回路を安定させることが重要だから」ではないかと考えている。神経回路の基本的な部分が安定することで、その上に成立する新しい機能の学習が容易になるからだ。
これは、われわれの手元にあるパソコンやスマートフォンを思い浮かべればわかりやすいかもしれない。臨界期が続くのは、基幹の部分にあるWindowsやiOSのようなOSの設計が、些細なことで変更され続けるようなものなのだ。だが、言語や視覚のような基本機能が、頻繁に「仕様変更」されては困ってしまう。
さらに、ヘンシュ教授はある種の精神疾患において、臨界期にブレーキをかける遺伝子に障害が起きていると指摘する。
「例えば、統合失調症などの精神疾患では、臨界期を終了させる遺伝子の多くが傷ついているのが見られます。つまり、彼らの生涯は過剰に可塑性があり、神経回路が不安定であることを反映している可能性があるのです。その結果、彼らは外との関係を維持するのが困難になっているのかもしれません」
実は脳の臨界期は、人間ではなくマウスなど他の生物にも存在していると知られている。生物の神経回路が安定すること──すなわち「頭が硬くなること」は、実は進化の過程で獲得された大事な機能である可能性が高いのだ。 
(後略)
引用、ここまで。

 面白い意見ですね。
 だとすると、人の心理状態というか精神状態の乗っかる「ハードウェア」は物理的というか生化学的な要因によって規定されているということですし、「ハードウェア」の構築が上手く出来なければ統合失調症などの不安定な状態になるかもしれないとのことなんですから。
 そして、未成熟なハードウェア(=臨界期)から成熟状態に移行させるのも遺伝子の機能であるとのこと。
 ほんとうに、精神的なものというのと身体的なものというのがとても密接にリンクしているのですね。

 精神的なものと身体的なものがとても密接にリンクしているならば、私の中にある「今ここに私が居る」との考えも身体を構成する物理的、生化学的な構造や成分、状態によって規定されて生じた「反応の結果」でしかないと考えることも出来ます。
 そうなると「我思う、故に我在り」ではなく「我在り、故に我思う」となってしまいます。
 もしくは、「今現在の世界は観察している対象であり鑑賞者たる私はその中にいない」ことを示しているのかもしれません。
 さて、どちらが真相なんでしょうね。

 いずれにしても、その示すところのひとつとして、「色即是空、空即是色」、あると思っているものは実はなく、無いと思っているものが実はあるものなんだということなんでしょう。

 私としては、「誰々が悪い」との憎悪とか「誰々が羨ましい」との妬みなどは、ただ身体的に規定されて反応として生じたものなのだから、それにとらわれずに生きていきたいと考えることにしようと思います。

 それでは、今回はこのへんで。

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