何かを決める時に、“感情”と“論理”は対立することが多いことは、日常的に経験することだと思います。
ですが、脳科学から見ればそうではなさそうなのです。
30秒で読む「意思決定の脳科学」(WIRED.jp)
脳外科手術で「感情的部位」を失った人は、一分の隙もない論理的な人間になるわけではなく、「決断を下せない人」になる。意思決定プロセスを脳科学で説明する。
(後略)
同記事の中で面白いことが書かれています。
引用ここから。
古代ギリシャの哲学者プラトンは、人間の感情と理性の関係を「馬と御者」に喩えた。近代の心理学者フロイトは、「本能的な欲求(イド)が自我(エゴ)によって抑制される」という概念を打ち立てた。つまり、ずっと以前から、理性と感情は対立するものと考えられてきた。
こうした見方を神経科学的に解釈すると、的確な判断とは、合理的な前頭葉が、生物進化の早い段階に出現した、感情をつかさどる脳の部位(脳の奥深くにある大脳辺縁系など)における「動物的本能」をコントロールするものだと思われるかもしれない。しかし、実際はかなり違う。感情的な情報インプットが生み出す「動機づけ」や「目的」がなければ、効果的な意思決定は不可能なのだ。
引用、ここまで。脳神経科学者アントニオ・ダマシオの患者「エリオット」を例に取ろう。有能なビジネスマンだったエリオットは、脳腫瘍を切除するための外科手術を受け、脳の「眼窩前頭皮質」を切除された。これは、前頭葉と感情を結びつける部位だった。その結果エリオットは、映画『スタートレック』に登場するミスター・スポックのような、感情が欠落した人間になってしまった。しかし、感情を持たないからといって、一分の隙もない論理的な人間になったわけではなく、むしろ決断を下せなくなってしまったのだ。
この意見をそのままにとらえれば、先に感情による「動機づけ」や「目的」があり、それを実行する手段として「論理」が形成されたとの論理になるかと思います。
感情を源泉として活動していたものが、より高次に活動するために補助として論理ユニットを搭載した訳です。
そう考えると、人間が多くの場合に感情に支配された、論理的でない行動を起こすのは仕方のないことだと言えます。
感情に支配されることを普通のこととして認め、それをより高次に実現するために論理を如何に用いるかを考えれば、幸せな生活が出来るような気がします。
それでは、今回はこのへんで。
0 件のコメント:
コメントを投稿