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2015年1月31日土曜日

「賢い有権者」だけで政治はよくなるのか?

 こんにちは、稲田商会です。

 面白かったので、記事としてご紹介します。

「賢い有権者」だけで政治はよくなるのか? / 『感情の政治学』著者・吉田徹氏インタビュー(BLOGOS)
2015年01月30日 12:33
有権者が合理的に政策を選択するだけで、政治は本当によくなるのか? 合理性に基づいた従来の政治学では捉えきれない政治と人びとの関係を、感情をキーワードに探っていく『感情の政治学』(講談社)。賢い有権者を前提とした「マニフェスト政治」の限界を説き、いま政治に必要なのは共感する有権者ではないかと語る著者・吉田徹氏に、インタビューを行った。(聞き手・構成/金子昂)

「賢い有権者」ではない政治のあり方
―― 本書は、これまでの合理性に基づいた政治学の限界を説き、選挙やデモなど、さまざまな「政治」の場で、感情がどのような役割を持っているのか、そしてその可能性を述べた刺激的な一冊となっています。そもそもなぜ本書で取り上げているような感情や信頼、共同体に注目して、政治を取りあげようと考えられたのでしょうか?

理由はいろいろです。まずポスト55年体制に入って、政治にお任せをする有権者ではなく、賢い有権者になろうというかたちで政治像が捉えなおされてきた状況があります。「あるべき民主主義とは、政治家や政党に白紙委任するのではなくて有権者が自ら主体的に政策を選択して作るべきものだ」――そんな「べき論」から始まって、そこからいわゆる「マニフェスト政治」もでてきた。あらかじめお約束を記したメニューを提示して、賢い有権者は、自主的にそれらを選択する。政党間の競争を激しくして、政権交代していこう、という政治が作り上げられていったわけです。そのまま、有権者が合理性を発揮すれば、政治はよくなる、という何の根拠もない神話が語られはじめた。
それ自体が間違っているというつもりはありません。でも、本で説明したように、政策に基づく政党政治が成り立つためには、実際にはさまざまな前提条件を満たさなくてはならない政治学上のモデルに過ぎません。とうぜん現実はモデル通りにはなりませんから、結局、政治に対する失望感を高めることにしかなりませんでした。
2009年に民主党が与党になったときは、民主党が支持されたというよりは、小泉を支持していた無党派層が民主党に流れただけだった。あるいは2012年も民主党支持者が離反したというよりは、強い失望を覚えた有権者が民主党の手元からスッとぬけおちて、その結果、安倍・自民がひとり勝ちしたという構図でした。 
(後略) 
出典:BLOGOS



 私はあまり政治は好きではないです。
 きっと、「人の集まりがあんまり好きではないから」が理由だと思います。

 それはさておき、この元記事の内容は面白いと思いました。
 「賢い有権者を前提とした「マニフェスト政治」の限界」があるというのは、確かにそうですよね。
 選挙の話をするときに、感情的に「あの政党が嫌いだから」という方が居られますが、それて賢い有権者とは思えませんからね。

 このインタビューの中では、民主主義に必要なものとして、有権者の「内発性」を挙げています。
 「内発性」とは「パブリックなものに参加したいと思う気持ち」とされています。
 そういえば、昨今のインターネットの発達によって、匿名性による「実世界に深く接する」という障壁の軽減化が起こったのか、政治に対して内発性を発揮させやすくなっているのではないだろうかと思われます。

 インターネットは、今の所選挙という政治の中の重要な仕組みにとってほとんど影響を与えていないように思われますが、政治に対する内発性の形成、発現にはすこしは役に立ってくれるのではないかと私は思います。
 そうして、そのうち「内発性をもつ賢い有権者」が少しずつ増えてくるのではないかと夢想します。
 そうなったら、もっと政治も良くなるんでしょうね。

 それでは、今回はこのへんで。

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