このニュースで、ふと「延命措置の意味とは何だろう」と考えてしまいました。
安西マリア 脳死状態 延命措置取らず
都内の病院に救急搬送され、危篤状態になっていた歌手の安西マリア(60)が脳死状態となっていることが7日、分かった。関係者によると、約1時間にわたって心臓が一時停止。その後、蘇生したが、脳死状態となった。息子と親族の承諾もあり、現在は延命措置を取っていないという。
(後略)
延命措置とは命を長らえる措置ですが、脳死状態での命とは何なのでしょうか。
命が活動的な生から加齢や傷病などによる機能低下でいつか沈黙の死に至るのは、生命誕生から続いている変わらない真実ですが、先ほどの問いは「命の状態として生と死の間はまったくの空白なのか」という問いととらえることもできます。
たとえば、脳死状態は医療技術等の進歩によって判明した「生と死の間」の状態の一つだと、私は思います。
一方で、私には、世の多くの方は「生と死の間」には何もなく生でなければ即ち死であると考えて生活をされていると思われます。
そして、身内の生と死の間をさまよう状態を見て、改めて生と死の関係性を考えることになるのでしょう。
引用した記事では、脳死状態として生から緩やかに死に向かって自力で進まれている安西マリアさんに対し、親族らは機械の力で引きとめることはしないとの判断をされたのだと思います。
私にも家族がありますが、もしそのような状態になった場合どのように判断するだろうかをこの記事を見て考えてみました。
どのように判断するだろうかを想像しようとしても、上手く想像できませんでした。
また、どのように判断すべきかについても、答えは決められていません。
私自身も、生と死の間の状態が存在しうるとの概念が受け入れられていないのでしょう。
いつか必ず生と死の間に立ち会うことになるのは明らかなことですから、これから折を見て向き合って考えていこうと思います。
それでは、今回はこのへんで。
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