こんにちは、稲田商会です。
今日は昔お世話になった方が亡くなったとの電話で、一日ボーッと過ごしました。
ボーッとしているなかで思ったんですが、「死」ってある瞬間に生ける者に襲いかかってくるものではなくて、ふと気付くと平凡な日常の直ぐ側でボーッと佇んでいるものなんじゃないでしょうか。
白髪が増えた。
直ぐに疲れる。
ちょっと足腰が弱くなった。
思い出すのに時間が掛かる。
言葉に詰まる。
ちょっとした「死」がそこここにに転がっていて、それがどんどん溜まっていくと人間としての「死」になるのだろうと思います。
そうだとしたら、普段からその「死」を認めて「死」と慣れ親しんでいけば、個体としての自分の「死」や家族の「死」も受け入れやすくなるのではないかと考えてしまいます。
生活の中に転がっている誰かの小さな「死」を見つけて拾い集め「死」と慣れ親しむ、生活。
うーん、私にはちょっと無理そうです。
さて、それはさておき。
Sさん、色々とお世話になりました。
一緒に掃除したのは、私がいい人だったからではありません、なんとなく、居心地が悪かったからです。
(おそらくそれを判っていながら)お返しのように、私に色々なことを教えて頂いたことで本当に勉強になりました。
もう他の人のために何かしようとしなくても大丈夫ですからね。
木陰のハンモックでゆっくり昼寝を楽しんで下さい。
貴方のご冥福をお祈りいたします。
それでは、今回はこのへんで。